井上達夫・東大教授の憲法に関するインタビュー記事(朝日新聞社:WEB 論座)を読んだ。複雑な心境を抱いた。
井上教授のWEB 論座のインタビューより引用(編集部)
私がまだ修士課程の大学院生だった頃、井上教授に、早稲田で開かれた研究会に来ていただいたことがある。私が23歳頃の1992年頃だ。非常に力強くも落ちづいた報告と受け答えに、感銘を受けた。
井上教授は、30歳代前半でサントリー学芸賞を受賞され、名声を確立されていた。自信に裏付けられた静かな凄みに、新進気鋭の若手学者とは、こういう方のことか、と胸に残った。
その時から比べると、井上教授は、変わってしまった。60歳代半ばで、もう怖くて誰も何も言えない存在だ。すっかり、いつも怒って説教をしている人、になってしまった。
井上教授は、「修正的護憲派」・「原理的護憲派」と呼ぶ人々を批判し続ける。だがその批判の根拠は、何やら特殊な倫理的な姿勢を問うものだ。「欺瞞的」といった言葉を、繰り返し繰り返し、他者の糾弾のために使う。
木村草太・首都大学東京教授への糾弾の例をとろう。「私の授業を聴いていた元学生」の「木村君」が、「お話にならない暴説」を述べている、と井上教授は激怒する(『脱属国論』62-63頁)。木村教授が、集団的自衛権は違憲だが個別的自衛権は合憲だ、と主張する際の根拠に、憲法13条「幸福追求権」を使った、という理由で、井上教授は激怒
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