当方は一時期、安倍晋三首相と文在寅大統領の日韓首脳会談の開催前に、前座として麻生太郎副首相(財務相)と文大統領の「信仰の兄弟の集い」(仮題)を開いたらどうか、と真剣に考えていたが、今は考えなくなってきた。実現性は依然あると信じるが、両国を取り巻く状況はそんな悠長なことを言っている場合ではないからだ。
首相官邸サイト、韓国大統領府サイトより:編集部
麻生副首相(78)も文大統領(66)もローマ・カトリック教会信者だ。キリスト教会信者の間では「兄弟」と呼べる関係だが、両政治家の間に文通やツイッターの交流があるとは聞かない。トランプ米大統領と北朝鮮の独裁者・金正恩朝鮮労働党委員長の間でさえ「美しい書簡」の交流が行われているのに、麻生副首相と文大統領の間は音信不通というのでは、同じ信仰を有する政治家としては少々寂しい。
民主主義国では政治と宗教は分離するのを原則としている。宗教者が過去、政治を誤導した教訓があるからだろう。政治家が自身の信仰を吐露したり、自身の信仰の友と公の場で話すことを極力避けるようになったことから、宗教は政治家のアクセサリーに過ぎなくなってきた。
多分、数少ない例外は米国だろう。大統領就任式も聖書の上に手を置いて宣誓する。国が戦争に乗り出す時、大統領はホワイトハウス内の礼拝堂で祈りを捧げ、神に問いかける。自身の命令で多くの若者が戦争で命を落とす危険があるだけに、大統領は
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