津田大介氏が世に問おうとしたこと
私は内心、津田大介氏や企画展「表現の不自由展・その後」の取り組みを応援していた。たとえ、一般の日本国民とは考え方が異なる国賊のような人間でも、批判を覚悟で自分のスタンスを世に問おうとするならば、徹底してやればいいと思っていた。しかし、3日、津田氏は展示会を中止すると表明した。
NHKニュースより:編集部
「表現」というものは時に、受容者の激しい怒りや反発を招く。マルセル・デュシャンが1917年、『泉』(Fontaine)と題された男性用小便器のオブジェを発表しようとした(ニューヨークの「アンデパンダン」展に出品しようとしたが、出品を許可されなかった)。汚物をキャンバスに投げ付けるアートも登場した。芸術が権威や権力を愚弄し、それに反逆すること自体、多かれ少なかれ、芸術が本来持つ内在的宿命である。
「表現の自由をはきちがえるな」という批判も多くあるが、そのような批判を誘発させることを、表現者は狙っている。
公序良俗に反する「表現」はその公表において規制の対象になる。
公序良俗に反するかどうかを決めるのは国家権力であるので、芸術はどこまでも国家権力の従属下にあるということを、この企画展の出品者や津田氏は示したかったのだろう。また、「慰安婦像」や「天皇」というモチーフを用いて、善良な日本国民がどこまで忍耐できるかを試そうとしたのだろう。
大いに結構だ!トコ
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