デリケートなものを踏みにじる
この週末「あいちトリエンナーレ」の展示物が物議を醸した。
具体的には韓国の慰安婦運動の象徴たる少女像と昭和天皇の肖像写真を焼却した表現が話題となり、世論の反響を受けてこれらの展示は中止されたようである。
テロ予告や脅迫に挫折 「表現の不自由展」識者の見方は:朝日新聞デジタル
前者は外国の政治的プロパガンダであることは明白であり、とても行政機関の支援の対象になるものではない。この少女像の展示については既に池田信夫氏の指摘があり筆者としては付け加えるものは何もない。
池田氏論考:慰安婦像は「表現の自由」の問題ではない
後者は実にグロテスクなものであり「不敬」という声もあるが国民主権下の日本で「不敬」は成立しない。「不敬」を強調すると左派に逆手を取られかねないので注意が必要である。
とはいえ国民主権下の現在でも天皇制度廃止の声は極小派であり、少なくとも日本国民の間で天皇制度がデリケートなテーマであることは間違いない。
左派は慎重な対応が求められるものに対して大した理由もなく干渉、否定することがあるが今回の騒動もその一例である。
問題作のひとつ、焼却される昭和天皇像の映像(KBSニュースより:編集部)
個人写真の焼却は殺意の表現
今回の騒動では慰安婦運動の少女像ばかりが注目されているが、「昭和天皇の肖像写真の焼却」についてはあまりに触れられていない。行政機関が
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