「保守」は「ダサい」存在だった。
JCR/写真AC(編集部)
筆者の中で小泉政権誕生前まで「保守」を語る者のほとんどが高齢者か高齢者に近い中年だった印象がある。今、調べてみればそうではなかったかもしれないが「保守」と言えばやはり「復古的」「時代錯誤」「頑固」という印象が強く「新鮮」とか「賢さ」というものとは無縁だった。
若い頃の筆者の中で「保守」の印象は最悪で俗っぽく言えば「保守」とは「ダサい」存在に過ぎなかった。
では、左派(左翼・リベラル)はどうか。「左翼」という言葉は昭和の時代から既に死語になっており筆者の若者時代(ゼロ年代まで)は「左派=リベラル」であったがリベラルも特段、「新鮮」「賢い」という印象はなかったが「保守」よりマシであった。「新鮮」「賢い」という印象が強かったのはやはり「改革」である。
整理すれば「改革」は「新鮮」で「賢く」高評価であり「リベラル」は「保守」よりマシな存在ということである。
「保守」という言葉の意味を考えれば「保守」が若者から否定的にとらえられるのはある意味、当然と言えよう。
一般的理解で言えば若者とは意欲・活力・行動力があり、また、それが期待されている存在でもある。いつの時代も未来を切り開くのは若者であり「保守」とはその若者に打倒される存在に過ぎない。繰り返しになるが「保守」の言葉の意味を考えればこれは当然であり、保守と若者とは本来、相性が悪い
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