ブログで100万の秘訣ってなに?
詳しくはコチラ

孝明・明治天皇に男子がなかったら誰が天皇に?

経済ニュース
皇位継承の問題というのは、いよいよ継承すべき人がなくなってくると急に大騒ぎして、思いつきと政治的思惑で突拍子もない発想がいろいろ出てくる。
そして喉元過ぎると、油断して長期的な視野をもった議論が出てこなくなり、逆に、少し怪しげになっても言い出しにくくなり、いよいよ危なくなるとまたその場しのぎの議論だ。
ところで、皇位継承の危機はなにも今回が初めてではない。光格天皇のあと、成長した皇子が仁孝、孝明、明治、大正と一人ずつだったのだから、まさに薄氷を踏む思いだったのである。もし、こうした皇子が育たなかったらどうなったのだろうか?あまり資料はないのだが、孝明天皇と明治天皇のケースについて考えてみよう。
孝明天皇(左)と明治天皇(Wikipediaより:編集部)
孝明天皇は、日米修好通商条約の締結を巡って幕府と対立し、譲位をほのめかされたり、逆に廃位を幕府も検討するなどということがあった。
そのなかで、安政5年(1858年)6月28日付けの宸翰で「世を治め候事、所詮微力に及ばざるゆえ」として伏見宮貞教(1847年生まれ)、有栖川幟仁(たかひと)、熾仁(たるひと)親王のいずれかに譲位したいと仰っている。
このときには、すでに明治天皇は誕生しているが(1852年)、幼児なので候補にはなっていない。
明治天皇については、もし皇子がないまま早死にされた場合は、有栖川宮家からということだったようだ。明

リンク元

コメント

タイトルとURLをコピーしました