現代は「石油からデータへ」の文明の大転換期だといわれる。企業の経営もいわゆる「デジタルトランスフォーメーション」で激変が予想される。そんな中で政府の役割はどうなるのか。
楽観論はエストニア型の便利で透明性の高い“e-デモクラシー社会”の実現である。だが一方では、ジョージ・オーウェルが小説「1984年」で描いたように政府がITを駆使して個人の生活を監視する時代になるという悲観論もある。今回は「データ本位主義」の時代の政府と社会の関係について考えてみたい。
イメージ画像(出典:エストニア政府提供。文の内容と同国は無関係)
企業が顧客を逆選択し、行動も誘導
IoT(インターネット・オブ・シングズ)とデータの時代には個人の行動や性癖に関するデータが大量に得られる。そしてデータは使い方次第で企業にとっても本人にとっても大きな資産となる。例えばリストバンドは本人の自覚よりも早く脈拍の異常を把握し、病気の予兆を知らせてくれるだろう。家族の購買データをAI(人工知能)で分析するとその家族が教育熱心か、食生活が健全か、趣味嗜好はどうかなど消費パターンやライフスタイルが読み取れる。
こうしたデータ活用は、今のところはビジネス分野におけるリコメンデーション、つまりもっとモノを買ってもらうための働きかけが中心だ。だが、さらに踏み込み、顧客のデータを使って将来、顧客に関して発生しうる将来リスクを予見し、融資
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