衆議院議員の議席を失い、政治の世界から一歩離れて、無所属の立場で社会を見ていると今まで見えなかったことが見えてきます。政治の世界に入ることが出来る人が限定されているというのもその1つです。
公職選挙法が制定されていることもあり、被選挙権年齢に達すれば、誰でも立候補することは出来る、ということになっています。確かにその通りですが、誰でもが当選することにはならないし、その前後の生活や将来に対するライフプランが描けない現実があります。法律で担保されているのだから、誰でもが議員になれ、誰でもが投票することができ、議会制民主主義が担保されている民主主義国家である、と言い切る人もいますが、本当にそうでしょうか?
気合と根性で出来ないことはない、365日24時間体制で社会に貢献するのが当たり前、国家国民の為に家族の犠牲は致し方ない、議員を辞めた後は生活保護を覚悟すればよい。「地盤・看板・鞄」が無いなら、覚悟して政治の世界に入れば良い。これは、正に20歳から53歳まで、33年間にわたって政治の世界にいた僕が、議員志望の人たちに語ってきたことなのです。特別な事情が無い、普通の人が政治の世界に入ることは大切なことです。
でも、僕がこれまで語ってきたような覚悟を持ち、行動出来ている人が、普通の有権者の代表なのかと問われれば、普通ではありません。特に結婚して、子供がいて、親や祖父母と同居をしているいる女
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