4月25日にウラジオストックで初顔合わせした金正恩委員長とプーチン大統領。会談の評価は「我々の利益は米国と一致している。完全な非核化だ」と述べたプーチンがその足で北京に向かい、「戦略的に地域の安定を図り、共同で情勢を管理していく問題などで意見交換した」と抽象論を述べた金正恩はその後の予定一切をキャンセルし帰国してしまったことに表れていよう。
朝鮮中央通信より:編集部
各種の報道を総合すると、一昨年秋この問題が大きく表面化してからの二人の面会は、そもそもロシアサイドから持ち掛けていたようだ。初めは昨年5月のラブロフ外相の訪朝時、二度目は8月15日の北朝鮮解放記念日にプーチンが寄せたメッセージでの訪露招請だ。が、金正恩はメッセージへの謝辞を述べたものの、訪露には触れなかったとされる。
昨年の金正恩の動きを振り返ればその理由が判る。金は3月初めに文韓国大統領の特使と面会して4月の南北首脳会談開催を決め、3月下旬には習近平の招きで中国を訪問した(その後の訪中は2019年1月まで4度といわれる)。4月27日には板門店で文大統領との南北会談を行い、これらを踏まえた上で6月27日にシンガポールでトランプ大統領との米朝首脳会談を行った。
その米朝会談は、金が少々調子に乗り過ぎ5月に一旦はトランプから会談を中止する旨の書簡が発せられたものの、腹心の金英哲を訪米させて書簡を渡し何とか会談に漕ぎ着けたも
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