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ノートルダム大聖堂の「火災」の衝撃

経済ニュース
フランスのパリのノートルダム大聖堂火災から29日で2週間が過ぎる。当方はその間、「なぜ多くのパリ市民が火災を目撃し、嘆き、涙を流したのか」を考えてきた。合点が行かなかったからだ。幸い、火災は大聖堂全体には及ばず、尖塔などが焼崩れただけで、貴重な絵画や聖物は無事だった。火災での人的被害も1人の消防士が負傷しただけで済んだ。
▲ノートルダム大聖堂火災で消火活動する消防士たち(2019年4月15日、フランス内務省公式サイトから)
ノートルダム大聖堂火災はパリ市民だけではなく、極端にいえば、世界中が大きな衝撃を受けた。パリ発の写真を見ていると、涙を流す市民の姿が見られた。死者が出なかったので犠牲者のために涙を流しているのでないことは明らかだ。それでは何が悲しかったのか。世界的に有名な13世紀のゴシック建築の大聖堂が燃えているからだろうか。パリ市民が誇ってきた文化財産が燃えたのだから、涙を流す人が出てくるのも当然だ。何も問題ではない、といわれるかもしれない。
それでは、パリ市民は火災前、ノートルダム大聖堂で涙を流して祈ったとか、祝日の記念礼拝で祈ったことがあったのだろうか。それとも同大聖堂で結婚式を挙げたという個人的思い出があったのだろうか。涙は急速に伝染する。一人の市民が涙を流せば、それを見た他の市民も涙を流す、とドライに受け取るべきなのか。
独週刊誌シュピーゲル(4月20日号)はノートル

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