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ルクセンブルク:嫁姑対立に悩んだ前大公の死

経済ニュース
ルクセンブルク(フランス語ではリュクサンブール)の前の大公であるジャンが23日に崩御された。
ルクセンブルクのジャン前大公(Wikipediaより:編集部)
2000年に退位されたあと、ひっそりと生きておられた。話題になったのは2003年に嫁である現大公妃が姑によるいじめを記者会見で告白するという事件があったとことと、2005年に妃に先立たれたことくらいだった。
男系から女系へ、生前退位、ロイヤル・ファミリーの内紛など我が国にとっても参考になることが多い君主家であるので、その事情を紹介したい。安直な結婚とか継承原則の変更がいかに戒められるべきものかの典型だろう。
ルクセンブルクは小国だがEU統合の要になっている国だ。ユンケル委員長はここの元首相だ。
EUの事務局はブリュッセルで議会はストラスブールだが、ヨーロッパ裁判所はルクセンブルク大公国だ。オランダとベルギーの弟分みたいな国で国語もフランス語、オランダ語、ドイツ語が併用だ。
君主は大公(グラン・デューク)である。留学中の皇太子殿下も大変お世話になった。このルクセンブルク大公家というのは複雑な家系である。
25日午前、前大公の弔問のためルクセンブルク大使館を訪問された両陛下(ANNニュースより:編集部)
14世紀から15世紀にルクセンブルク家は神聖ローマ皇帝やボヘミア王を排出した。とくに神聖ローマ帝国皇帝カール四世はボヘミアの全盛

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