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令和の故郷は“大”宰府か“太”宰府か:元号と市町村名

経済ニュース
「令和」の故郷は奈良時代の太宰府での花見の宴にちなんだもので、作者は大宰帥(長官)だった大伴旅人かその下で筑前守だった山上憶良とされている。
太宰府天満宮(写真AC:編集部)
天平2年1月13日(ユリウス暦730年2月4日)に旅人の邸宅で催された宴の様子を表したもの。 旅人の邸宅の正確な場所は不明だが、最有力説は政庁の北西、現在は坂本八幡宮になっているところだ。
この元号の決定を機に“大”宰府か“太”宰府かということも話題になった。現在は、古代の役所、およびその遺跡に関しては、「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記され、「大宰府政庁跡」「太宰府市」というように使い分けされている。
古代については、現存する古代の印影が「大宰之印」であることが理由だ。しかし、奈良時代の文書にも、「太宰府」と表記されているものがあるし、中世からは「太宰府」と表記する文書が多くなり、近世以降はほとんど「太宰府」と表記するようになっている。
昭和30年代末頃、九州大学の鏡山猛教授が地名や天満宮など以外は「大宰府」と表記するように提唱したことをきっかけとして、一般には古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記されるようになった。現状では、行政的な表記もこれにならい、「大宰府政庁跡」「太宰府市」というように明確に使い分け

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