ここへ来てマスコミの秋篠宮家たたきが燃え上がっている。週刊新潮 4月18日号 (4月11日発売)のトップ記事は、『「秋篠宮家」が「私」を優先して「愛子天皇」』と激しい。
週刊新潮4月18日号中吊りより:編集部
さすがにこれはおかしいと思う。秋篠宮家に問題があるとしても、悠仁親王自身のことではないのだから、その皇位継承権を論じる理由にはならない。せいぜい、秋篠宮殿下の皇嗣としての立場とか、悠仁さまの教育についての議論にとどめるべきだ。
しかし、このあいだまで、雅子さまや東宮家へのバッシング一色だったのがどうして逆転したのか。その背景について考えてみよう。
日本ではまだまだ皇室に対する批判はある種のタブーであって、それをするのは勇気がいることだ。雅子さまへの批判にしても、眞子さまの問題にしても、基本的な場は週刊誌とネットであって、テレビや新聞は沈黙したままだ。最近になって小室氏の問題については論じるようになったが、これは皇族ではないし、婚約者としての立場も危うくなっているので踏み切ったといったところだ。
そして、週刊誌だが、これも、おそるおそるでへっぴり腰だ。常にカウンターをおそれている。だから、書いてもたたかれないと自信がないと書かない。ただ、困ったものなのは、大丈夫かどうかの判断は、あとからみんなついてくるかどうかであることが多い。
宮内庁サイトより:編集部
つまり、みんなで渡れば
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