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知られざる日台の絆:高雄は残った「台湾の日本人慰霊塔」

経済ニュース
ポツダム宣言受諾に伴う日本陸海軍350万の武装解除、そして海外からのこれら軍人・軍属や民間人3百万の復員・引揚げはさぞかし想像を絶する難事だったに違いない。台湾にも当時50万近い日本人がおりその約7割が一般の住民だった。
高雄覆鼎金公墓の日本人慰霊塔(Wikipediaより:編集部)
日本統治期を生きたこれら日本人の故郷は台湾だった。が、残留の希望は叶わず富める者もそうでない者も一律千円と荷物二つとで1946年春までに台湾を後にした。その地に骨を埋めた彼らの父祖の遺骨を持ち帰る余裕などなかっただろうことは容易に想像が付く。
日本人慰霊塔というものが台湾にある。かつては台北と台中と高雄にあった。正式名称は日本人遺骨安置所という。敗戦で台湾を去った日本人の残した遺骨約2万柱が安置されている。台北のそれには北部地区、台中には中部地区、高雄には南部地区とそれぞれの頭に付く。
かつてと書くのは北部地区の安置所は既になく、高雄のそれも2013年頃には撤去の瀬戸際にあったからだ。高雄市の覆鼎金という閑静な一角にある公墓を公園化する計画があった。が、高雄の慰霊塔は公園の中に残ることになった。台中の慰霊塔には台北から移された遺骨も安置されている。
台北中和禅寺にあった慰霊塔 「日本と台湾・交流秘話」より
これから書くのは、これらの遺骨がどのように収集されたか、慰霊塔はどういう経緯で建てられたか、台北

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