今年も3月11日14時46分がやってきた。あの日、新聞社の編集委員と、大学の先生と赤坂のホテルのカフェで打ち合わせをしており。「あ、揺れた」と思ったら、大変に長く、強く。
あの写真がライブドアブログのファイルに残っていたので、何枚か貼っておく。
携帯はつながらなかったけれど、Pocket WiFiは実によくつながり。妻とはメールのやり取りを。新橋まで歩いて移動し、合流。烏森神社近くの小料理屋で飲んで時間を潰し。復旧した銀座線で浅草まで移動し、そこから寒い中、50分歩き帰宅。ぎゅっと抱き合ったような。
実は宮城県仙台市生まれで。生まれて10ヶ月で札幌の実家に戻ったので、全く記憶はありませんが。思うところはある。
被災した当時、僕は36歳で。自分と社会の未来を考えるキッカケの一つだった。会社をやめ、大学院に入り直し。子供を産もうと思ったのも(時間はかかりったが)。良くも悪くも専門分野以外に関しても発言しようと思ったのも、震災がキッカケ。
震災から2ヶ月過ぎた頃、日経で海老坂武先生のインタビューを拝読し。大学時代、フランス語でお世話になり。ぶっちゃけ、講義はいい加減でぶっきらぼうで休講も多かった。彼からは未だに、知識人としてのあり方を学んでいる。
サルトル的な発想 海老坂武さんに聞く:日本経済新聞
「僕はサルトル派ですから立場を明らかにしたいと常に考えています。そこで情けないと思
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