量子コンピュータは速いだけじゃない
古典的なコンピュータのパラダイムは、常にスピードで語られてきた。少なくとも一般的なイメージでは。もちろん実際には、古典的なコンピュータの目標は、もっとずっと複雑なものになってきている。たとえば、より大きな、より多くの、あるいはより微妙なデータから、意味のある洞察を取り出せるような能力の向上、といったものだ。しかし、われわれがスマートフォン、タブレット、ラップトップを評価する際に気にするのはスピードだ。つまりどれだけ速いかということ。それによって、どれが「最高」なのかが決まる。
というわけで、この妄信的なものさしが、量子コンピュータの議論に持ち込まれるのも不思議ではない。量子コンピュータに関する一般的な記事を読むと、ほとんどスピード、スピード、スピードという語で埋まっている。スピードしか気にしていない。そのように考えている限り、量子コンピュータがわれわれに何をもたらしてくれるのか、理解することはできないだろう。
なによりも、古典的なコンピュータのスピードへの関心は、現在では時代遅れで潜在的に有害であるとみなされている。というのも、スピードの追求は、現在最も火急の研究開発課題とされているエネルギー効率から目をそむけさせるからだ。
このような固定観念によって量子コンピュータを見ることは、本質を突いたものではなく、古典的なコンピュータと量子コンピュータの性質の違いを描き出すものではない。
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