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韓国三・一運動100周年:唯一日本人が胸に刻むべき事件

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韓国待望の記念日、三・一運動から100周年のその日までいよいよ秒読みに入った。さぞかし日本人には耳障りな反日の悪口雑言がこれでもかと叫ばれ、そして報じられることだろう。筆者もそれらのほとんどに歯噛みするに違いない。
が、閔妃暗殺事件(乙未事変)だけには、我々日本人は黙して首を垂れねばならぬと筆者は考える。李氏朝鮮第26代皇帝高宗の妃閔妃を駐韓日本公使の三浦梧楼以下が殺害したとされる事件だ。それは日清戦争終結から半年経った1895年10月に起きた。
英国人旅行家が活写する李朝末期
閔妃(明成皇后、Wikipedia:編集部)
事件の様子は英国人旅行家イザベラ・バードと多くの信頼に足るノンフィクションを編んだ角田房子の著書に詳しい。前者は「朝鮮紀行」、後者は「閔妃暗殺」だ。本稿の話もこの才女二人のまるで見て来たような描写を拝借した。もとい、バードは実際に少なくとも3度、高宗夫妻に謁見した。
李氏朝鮮では19世紀頃から幼少の国王即位が続き、勢道(せど)と呼ばれる国王周辺の個人や集団が権力を独占する政治が横行した。勢道の多くは王室と血縁関係か婚姻関係にある外戚がなった。高宗の政権では父の興宣大院君と妃閔妃の閔氏だ。
1864年の高宗(1852-1919)即位も12歳の時だった。妃選びは実父の大院君(1820-1893)が妻の縁戚である閔氏の中から選んだ。幼時期に両親を亡くした閔妃(1852

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