金融における葡萄畑の宝探し
岩波文庫の「イソップ寓話集」をみると、第42話に、「農夫と息子たち」というのが載っている。死期の迫った農夫は、息子たちに自分の葡萄畑に宝物を隠してあるといって死んだ、息子たちは、畑を隅から隅まで掘り返したが、宝物は見つからなかった、その代わりに、葡萄がよく実ったという話である。寓意は、人間にとって苦労こそが宝物だということだそうだ。
しかし、現代社会における企業の経営哲学として、寓意を考えるならば、自分の葡萄畑を深く耕すことこそ、企業の利益の源泉だということになる。農夫を創業者とすれば、創業の理念とは、宝物は自分の葡萄畑のなかに常に隠れているのであり、それを探し続けることこそ、企業経営の本質だということになるであろう。
では、自分の葡萄畑とは何か、それは、自分の顧客、現に取引のある顧客のことにほかならない。顧客の意味を厳密に考えて、顧客のうちには、未だ顧客ではない見込み顧客は含まれないということである。
営業といえば、新しい顧客を得ることだというのが一般の通念である。確かに、真に新しいものを創造したり、現にあるものでも、真に新しい提供形態を開発したりすれば、周りは、全て新しい見込み顧客である。それを開拓することは、市場の創造であり、企業経営の基本なのであって、経済成長は、まさに、この創造的革新によって、もたらされるものといえる。
しかし、産業には、人間生活の基底を支えるものとして
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