昭和14年8月、陸軍大将の阿部信行を首相とする内閣が成立し、10月には価格等統制令が公布された。日中戦争の影響で生活物資が不足したことによる物価高騰を抑えようとしたが、逆に闇取引が横行し、物価の高騰を抑えきれなかったといわれる。
ドイツ留学でハイパーインフレーションで市民生活が苦しめられた窮状を見た世耕弘一には、この価格等統制令で物価が上がることは許すことのできないことだったとみられ、弘一は当時
Source: グノシー経済
【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(11)「統制流行憂多」で国の政策批判…特高、憲兵に踏み込まれても主張曲げず
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