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堺屋氏は自分の人生に不満足だったと思う

経済ニュース
堺屋太一さん(官邸サイトより:編集部)
堺屋太一先生が亡くなった。先生については、彼が成し遂げたことでなく、成し遂げられなかったことが大事だと思う。彼は気宇壮大で本当に国のためを想う人だから、決して自分の人生に満足していなかったと思う。
この日本という国と関西のいまの状況は志を持つ人間なら絶望的なものだからだ。官僚、政治家、作家、イベントプロデューサーとして功成り名を遂げたわけだが、そんなことで満足するスケールの人ではなかった。
いちばん濃密に一緒に仕事をしたのは、1990年代の首都機能移転問題だ。村田敬二郎元通産相、宇野収関経連会長などと東京一極集中を崩すのは結局これしかないと、遠大な作戦を展開して、結局、議員立法で法律まで通したが、橋本龍太郎内閣のときに事実上、凍結されてしまった。
しかし、あくまでも凍結だからいつかまた春が来たらやろうと虎視眈々と願ってきた。お会いすると、あれをもう一度いつかやろうとまず仰った。関ケ原のリベンジを毎年の正月に、今年はどうかと思案していた長州藩みたいなものだって笑いあったこともある。
二人で話をすると、いつも話題は、結局、関西のことだった。東京にどうしたら一泡吹かせられるかという執念も共通だし、何をすべきかも、なにが原因でうまくいかないかもそんな意見に違いない。だから、いつも敗北感と愚痴に近い話になった。
著作家としてのデビュー作は『EEC その

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