平成の政治を振り返る上で、インターネットの普及に伴う変化は、昭和以前の光景と異質なものといえよう。ネット空間で作られる「世論」がどこまでリアルの政治に影響するのか、挫折や不発、局所的な存在感を示すという「試行錯誤」を繰り返してきたと言える(連載第1回)。
毎日新聞では1年前から逢坂巌・駒沢大准教授による連載「平成ネット政治史」が掲載されているが、政局とネットの関連が初めて世の中に顕在化したと言えるのが、ちょうど逢坂氏が今週振り返った「加藤の乱」(2000年)だった。自民党の名門派閥、宏池会を率いる加藤紘一氏が、ときの国民的不人気宰相・森喜朗氏を引き摺り下ろしにかかったが、失敗したというクーデターだ。
逢坂氏の連載でも紹介されているが、加藤氏は当時の政治家で開設している人が極めて少なかった個人の公式サイトに、国民向けのメッセージを連日アップ。「自民党は、日本の政治は、変わらなければなりません。そのために私は立ち上がったのです」などと呼びかけ、世論の糾合を図ったが、マスコミが騒いだくらいで自民党内の力学にはなんの影響もなかった。
ネット政治の挫折の典型例として語られがちだが、しかし、加藤氏に先見性があったのは確かだ。
20代以下の読者のために当時のネット事情を説明しておくと、ウィンドウズ95の日本発売でネット普及が本格化してから5年余り。無線LANが登場する前で、ネットにつながるには
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