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日本国紀:陛下は神武天皇の子孫?②(実年代編)

経済ニュース
①では、応神天皇や継体天皇が新王朝を開いたとすることは不自然で、まず間違いなく、皇統は連続しているということを論証した。
日本国紀:陛下は神武天皇の子孫でないのか①
今回は、西暦2019年が皇紀2679年前というのは古すぎるとして、実際には各天皇の生きた実年代はどのくらいかということを推定してみたい。『日本書紀』における系図と事跡が正しいとしたままで、中国の史書や考古学的な遺物から確定できる年代と矛盾がないような説明ができるかが問題だが、結論から言えば可能である。
「男系女系から見た皇位継承秘史」(洋泉社)より
応神天皇は346年生まれ?
倭の五王(讃・珍・済・興・武)による中国南朝への使節派遣は、統一日本国家が中国と初めて交流をもったという意味でたいへん大事だが、中国の史書の記述から見ると、最初の倭王讃(仁徳天皇または履中天皇)の崩御は430年代あたりだ。大和石上神社の七支刀は、『日本書紀』で神功皇太后に贈られたものとされており、泰和4年(369年)と思われる銘がある。
「好太王碑」には、「新羅や百済は高句麗の属民であり朝貢していたが、倭が391年に海を渡ってきて百済や加羅や新羅を破り、臣民となしてしまった」とある。
「新羅本紀」には倭人が紀元前50年を最初として、なんども新羅の海岸地帯を侵し、とくに、346年、ついで393年には首都だった金城(慶州)を包囲したとある。
こうした

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