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『日本国紀』問題を考える―歴史学と歴史小説のあいだ①

経済ニュース
先週、私はアゴラで『日本国紀』に関する記事を投稿した。
『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える①
『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える②
これを受けて評論家の八幡和郎氏が拙稿への批評を下記記事で行ったので、若干の補足説明を行いたい。
『日本国紀』をめぐる久野・呉座論争とは何か
井沢氏(ブログより)、八幡氏も巻き込む「日本国紀」論争=編集部
井沢元彦説に似ているのは誰でも気づく
八幡氏の記事は非常に長文で論点も多岐にわたるが、主要な論点の1つは『日本国紀』と井沢元彦氏の著作との関係だろう。
八幡氏は次のように述べる。
井沢元彦『逆接の日本史』に対する評価については、呉座氏が朝日新聞(12月4日)やアゴラの記事(1月10日)で指摘しているのとほぼ同趣旨を、私はアゴラの記事「百田『日本国紀』は井沢『逆説の日本史』に似てる?」(11月23日)で論じている。出している例も、怨霊の問題、刀伊への対処、古代史などかなり重複している(足利義満については私が「足利義満皇位簒奪計画」を論じる前に、呉座氏がTwitterで足利義満暗殺について論じられているが隣接しているがテーマは別である)。
「井沢氏の歴史観は、しばしば、陰謀史観チックなものだ」と私は書き、呉座氏は「陰謀論的な井沢説の強い影響を感じさせる」としている。 呉座氏の朝日新聞連載の最初が「百田氏新作、過激と言うよりは」(12月4日)

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