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なぜ「予言」は時に外れるのか

経済ニュース
このコラム欄で紹介したブルガリアの予言者ババ・ヴァンガ「2019年の予言」は結構反響があった。まだ起きていないことを前もって語ることは通常、難しい。昔から「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われたが、その通りかもしれない。ただ、いつの時代も「予言」がズバリ当たれば、人は驚き、その予言を語った人物は一躍有名になる。
ミケランジェロの「最後の審判」
現代はIT技術の発展の恩恵を受け、ビッグデータを駆使して今年の経済の動向を予測する学者が多い。彼らの場合、通常「予言者」とはいわない。「経済専門家の国民経済の見通し」と呼ばれる。経済専門家の予測はその年の終わり頃にはその是非が判断できる。「先生の経済予測は見事に当たりましたね」と称賛されるか、「先生、全く外れましたよ」と言われ、酷評されるかだ。
もちろん「通常の経済専門家」は自身の予測が「当たった」とか「外れた」という表現で評価されることに抵抗を覚えるだろう。「俺は予言者ではない。確実なデータを分析したうえでの予測だ」と主張する。ただし、当たらなかった経済学者の場合、ちょっと弁明が苦しい。データを駆使して予測したにもかかわらず、間違っていたからだ。データ・プログラミングにミスがあったのかもしれない。
しかし、「予言」や「経済予測」には必ず当たり外れがある。ババ・ヴァンガの場合、予言の的中率は約80%だったという。その数字は凄いが、それでも約

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