汪兆銘政権といえば、日本軍の傀儡政権で中国人からみれば漢汗であり、日本としても役に立たずお荷物になったといわれている。
そういわれるのにも、理由があるのだが、それに関わった人たちはそれなりに真面目だったし、うまくいかなかったのはいろいろな不運の結果でもある。そして、意外なことに彼らの子弟が実は日中両国の支配階級として重要な地位を占めているのである。
首相在任中の福田氏(官邸サイトより:編集部)
今年の7月4日、産経新聞紙上の【単刀直言】という蘭に、福田康夫元首相のインタビューが載った。『福田康夫元首相 南京記念館の訪問「展示内容の修正評価」「鳩山元首相のときとは展示物違う」』というもので、保守派からは『鳩山由紀夫についで福田康夫お前もか』的な批判もされた。
しかし、私が驚いたのは、おそらく福田元首相が幼い頃に南京で暮らしていたことを初めてカミングアウトしたことだった。なにしろ、福田康夫は著書ゼロという首相経験者としては珍しい人で自分のこともあまり語ったことはないし、かなり多くの人に聞いてみたが、南京のことは初耳だと言っていたから私一人の感想ではない。
福田氏は次のように語っている。
小学校進学前におやじ(福田赳夫元首相。当時は大蔵官僚)の仕事(汪兆銘政権の財政顧問=1941~43年)の関係で南京に住んでいた。私は3カ月間だけの生活だったが、異質の体験だったね。(南京事件があったとさ
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