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オーストリア、欧州極右指導者ハイダー死後10年

経済ニュース
欧州全土でポピュリズム、外国人排斥、民族主義を掲げる極右政党が台頭し、選挙の度にその勢力を拡大してきた。反難民・移民政策を全面に出したハンガリーのオルバン首相の名をとって“オルバン主義”と呼ばれだした。
▲欧州の極右派指導者だったイェルク・ハイダー(ウィキぺディアから)
そのオルバン主義に先駆け、欧州極右政党のパイオニア的存在だったオーストリアの極右政党「自由党」党首のイェルク・ハイダー氏(Jorg Haider)が10年前の今月11日、クラーゲンフルト南部に住む母親の誕生日を祝うため車で走っていた時、交通事故に遭い亡くなった。58歳だった。ハイダー氏の葬儀は国葬ではなかったが、参列者数と規模では、04年7月に急死したトーマス・クレスティル大統領の国葬を大きく上回ったといわれた。
ハイダー氏の突然の交通事故死後、様々な憶測が流れた。暗殺説も流布した。原因はアルコール飲食(1・8プロミル)とスピード(時速142km)の出し過ぎだった。そのハイダー氏がまだ生きていたら、欧州のポピュリズム的政治スタイルはオルバン主義ではなく、ハイダー主義と呼ばれていただろう。
ハイダー氏は1950年、オーバーエスターライヒ州生まれ。1986年、自由党の党首に選出されて以来、選挙では常勝街道を邁進、得票率4%の小党に過ぎなかった自由党を20%の大台を越える主要政党にまで躍進させた。
ハイダー氏の政治手腕は

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