メルケル独首相の指導力が著しく弱まってきた。いつ頃からその兆候が見られだしたかと聞かれれば、はっきりとしている点は昨年9月24日の連邦議会選挙と言わざるを得ない。メルケル首相が率いる「キリスト教民主同盟」(CDU)は第1党の地位を維持したが、前回選挙(2013年)比で得票率は8.6%減少し、党最悪の結果となった。社会民主党(SPD)がそれ以上に惨めな結果(得票率20.5%)だったこともって、同党の行方にメディアの注目が集まったため、CDUの衰退は大きなテーマとはならなかっただけだ。
13年目の任期に入ったメルケル首相(メルケル首相のフェイスブックより)
第2の兆候はCDU/CSU(キリスト教社会同盟)と自由民主党(FDP)、「同盟90/緑の党」との3党のジャマイカ連合交渉がFDPの交渉離脱で暗礁に乗り上げた時だろう。FDPのリンドナー党首は3党の政策の相違が大き過ぎると表明し、交渉のテーブルから降りてしまったからだ。メルケル首相の交渉力をもってしてもどうしようもなかった。
第3はSPDとの大連立政権の交渉だ。シュルツ党首(当時)の指導力不足もあったが、メルケル首相にSPD幹部を説得できる政治的パワーがなかったことが、大連立政権の発足が遅れた主因だ。
最終的に、第4次メルケル政権は3月14日、連邦議会選後171日ぶりに誕生した。戦後最長の新政権空白という記録を樹立してしまった。メルケ
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