黒坂さんのいうように、「とにかく大量の文章を書いた経験」が足りないのかもしれません。もしくは、「アウトプット」が足りないのかもしれません。
けれども、小学校、中学校、高校と12年間、時間数にして2000時間以上も国語を学んだわりに、わたしたちはぜんぜん書くことも読むこともできないとは、どういうことでしょうか。
国語が国語になっていない状況
戦争文学を国語で指導するのは、戦争の悲惨さを伝えるためでしょうか。ある職業の実態を知る文章を読んで、いろいろな職業があると気づくためでしょうか。科学の説明文を読んで、科学の知見を広げようというのでしょうか。
たしかにそれもあるかもしれません。けれども、これでは国語は「道徳」や「理科」や「社会」になってしまいます。
つまるところ、学校では「言語をあつかう技術」を子供たちに身につけさせていないのです。言うならば、国語の授業が、他の教科、道徳や社会や総合的な学習の時間になってしまっています。
国語以外のすべての教科は、国語の基礎の上に成り立ってると言っても過言ではないのですが、その国語が、「思考するための方法」ではなく、「なんらかの価値観」を押し付ける教科となってしまっています。
「国語の教え方」のわからない教員は多い
小学校の教員のなかでも、国語が苦手な教員は多いです。なにをどうやって教えていいのかわからないからです。教師が教え方を知らない教科の筆
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