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媚中史観は韓国への配慮で生まれたという発見

経済ニュース
中華思想に基づく華夷思想で東アジアの国際秩序ができあがっていたなどというのは事実でなく、彼の地の儒学者の唱える宗教のようなものだ。もちろん、日本で儒教に看過されたインテリはそう思っていたかもしれないが、そもそも、儒教が社会を律する思想だという扱いを日本で受けるようになったのは、江戸時代になってからのことだから、古代や中世からの伝統的な歴史観ともいえない。
そして、明治になって近代的な国交を結んだとき、清国はさほど逡巡することもなく日本を欧米諸国と同等ということに同意して朝鮮・ベトナム・琉球とは区別したことは、先に『「日本は対等の国」と清に認めさせた副島種臣』(特別寄稿)で解説したとおりである。
ところが、日本人でも何を間違ったか東アジアの歴史を中国中心の歴史観で理解したがる人がいる。儒教の影響が強かった時代はともかく、最近になっても、一部の日本人がそういう考え方をするのは、まことに不思議なことなのだが、『中国と日本がわかる最強の中国史』 (扶桑社新書) を書いていて謎が解けた。
それは、半島の“媚中人”たちの自尊心を傷つけず、日本の歴史上の行動を批判する彼らの主張を肯定して日本人は謝罪しなくてはいけないというようにもっていくために、媚中史観が必要だったのである。
半島では、新羅が日本・高句麗・百済と敵対して窮地に陥り、唐にすがってその暦・服制・年号・人名の付け方を受け入れて、極端

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