「正解は問題文の中にある」
何十年もの間、大学をはじめとする受験界の現代文の解法として、言い伝えられた言葉だ。
考えてみれば当たり前のことだ。
問題文を素材にして設問が作られている以上、問題文から外れた解答を正解にすることはできない。
もしそのようなことをすれば、受験生は何を書いても自由ということになり、点数は採点者の主観に委ねられてしまう。
公平な採点基準を作成するためには、問題文の中に「正解」があり、設問は問題文の中に埋もれている「正解」を導き出すことができるか否かを試しているのだ。
「傍線①は何を意味するか?」という設問に対しては問題文の中から探すしかなく、自分勝手に考えた内容を書いたのでは正解にならない。
そもそも現代文の「論説文」の試験は、問題文を「解読する力」があるか否かを試すものだ。
「この文章は何を伝えているのか?」を正確に理解できるか否かを試している。
「この文章は何を伝えているのか?」を理解できなければ、正確な「読解」ができず、学術文献などは言うに及ばす、自分宛てに届いたメールや提出された報告書の内容を把握することすらできない。
今日の社会生活において、口頭でのコミュニケーションの比率が減少し、文書でのコミュニケーションの比率が増大している。
取引先から届いたメールを、正確に「読解」できなければ仕事にならない。
私生活においても多大な支障が生じるだろう。
文書
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