大学院って必要なのか?
「東大法学部教授の中には法学博士はいない」
最近はどうかわからないが、従来までは常識だった。
東大法学部は、優秀な学生をすぐに助手として採用するシステムをとっていた。
大学院に行く学生は、助手として採用された学生よりも劣後した学者人生を歩むことになり、まず東大に教授として残ることはなかった。
学生からいきなり助手になってしまうので、修士課程も博士課程もすっ飛ばしてしまう。
だから、修士・博士課程未修者が東大法学部の教授として残ることになる。
私が大学生の頃、日本の大学は学部という専門分野があり、それが米国の大学院の役割をしていると言われていた。
米国では大学で一般教養を学び、ビジネススクール、ロースクール、メディカルスクールのように大学院で専門科目を修得する。
「日本の大学院は屋上屋を重ねるようなもので、必ずしも必要なものではない」というのが、少なくとも文系学部の常識のようだった。
理系学部の学生の相当割合が(少なくとも)修士課程に進んだのとは、極めて対照的だった。
今や、悪名高きロースクールを筆頭にして、文系学部でも大学院が拡大されている。
どうしてこのようになってしまったのか?
かなり穿った見方だが、大学教授よりも大学院教授の方が世間的なステイタスが高くて国際的にも泊が付くことから、教授たちが大学院教授の肩書きを欲しがったことが理由だと考える。
いつの間にか、「東京大学教授」
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