日米開戦時、世界を驚かせた名戦闘機・零戦を開発した技師たちはおしなべて若かった。最年長の堀越二郎でさえ、開発を命じられたとき、34歳に過ぎない。終戦時、20代、30代だった優秀な航空機技師たちは、戦後、航空機の生産を禁じられた日本で、その頭脳を活かすため、他業種へ向かう。ある者は自動車メーカーへ、ある者は国鉄(現JR)へ、ある者は電機メーカーへ……。搭乗員だけではなく、頭脳をもって米英と戦った男たちへも取材を重ねた神立さんによれば、彼ら若き技師たちの存在なくして、戦後の技術大国日本の隆盛はなかったはずだという。
Source: 現代ビジネス
日本の新幹線の「安全」を作ったのは、ゼロ戦開発の大功労者だった
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