(左から)原敬、西園寺公望、東久邇宮稔彦、寺内正毅(Wikipediaより:編集部)
「歴代総理と総裁候補達の語学力のランキング」では主として英語の語学力を取り上げたが、歴代総理にはフランス語の達人もけっこういるのだ。
まず、フランス留学組は、西園寺公望、寺内正毅、東久邇宮稔彦だ。
西園寺は、大村益次郎のすすめで1871年、フランスに留学のために出国して翌年にパリに到着。パリ・コミューン騒動の最中だった。ソルボンヌ大学で政治学者のエミール・アコラスなどに学び、初の日本人学士となった。ここでのちのフランス首相クレマンソーやレオン・ガンベタ、文学者ゴーティエと親交を結んだ。帰国は1880年である。
寺内正毅は、維新直後からフランス語を学び留学を希望し、1882年に閑院宮載仁親王の随員としてフランス留学。翌年には駐在武官に任ぜられ、1886年までフランスに滞在した。
東久邇宮稔彦は、1920年から1926年まで留学し、サン・シール陸軍士官学校、エコール・ポリテクニークで学んだ。画家のモネや元首相のクレマンソー、ジョフル元帥、ペタン元帥と親交を結び自動車を自ら運転し、愛人も作った。この長い滞在の裏には大正天皇との不仲もあるようだが、同時に、山縣有朋や上原勇作から「なるべく永く外国に滞在し、向こうの知名の人と親しくなるように」言明されたからだと本人は述べている。死の床のうわごとでもラマルセイ
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