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現代の各都道府県トップ校と旧藩校・旧一中

経済ニュース
八幡氏の母校でもある滋賀県立膳所高は膳所藩の藩校跡地に立つ(Wikipedia:編集部)
江戸時代の日本の教育水準が高かったなどと笑止千万の都市伝説を信じている人がいるのは本当に困ったことである。識字率が高かったというのは、仮名ができる日本人の方が漢字数千字を操れる中国人や朝鮮人より多かったというだけだ。中国や朝鮮の官僚は科挙の合格者だが日本の武士は学校に通ったことがないほうが普通だった。
藩校など出そろったのは幕末に近いころで、それでも義務化は例外的な藩だけで、また、卒業しても九九も出来なかったことが多い。
しかも、藩校など明治四年の廃藩置県で全部廃止されたので、現代の高校で藩校の系譜を引くものh基本的にはない。のちにできた中学が明治後半の復古ブームに便乗して藩校の後裔とか言い出しただけだ(「江戸時代の「不都合すぎる真実」 日本を三流にした徳川の過ち 」PHP文庫)。
その後、明治政府は小学校とその先生を養成する師範学校の養成を優先させたので、中等教育は各地でばらばらの対応だった。それが明治19年(1886年)になって各県でひとつの本格的な尋常中学を整備することになった。それがいわゆる一中である。
しかし、最近の難関大学合格者からみたナンバーワン校にそのままなっているとは限らない。
ここでは、各県のナンバーワン高校を紹介し、それがかつての一中とは違うなら、カッコ内で一中がいまどの

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