「反省」を強いるのは「思想信条の自由」の侵害?
私が三重県で弁護士をやっていた時、覚せい剤事犯の国選弁護がやたらと多かった。
弁護した人数は50人はゆうに超え、もしかしたら100人以上に上るかもしれない。
接見に行って、「身柄拘束が続いているけど、体調はどうですか?」と訊ねると、たいていの被告人は「規則正しい生活になって快調です」と、本当に元気そうな顔をする。
ちなみに、私はどのような被告人に対しても(原則として)敬語を使うようにしていた。逮捕から身柄拘束に至るまで「上から目線の命令口調」を浴び続け、ズタズタになった被告人の心の尊厳を取り戻すためだ。3回目くらいのお得意さん(?)になると、お互いタメ口を言い合うこともあったが…。
面白いのが覚せい剤の入手先で、場所は「名古屋のテレビ塔の下」が圧倒的に多く、次いで「白川公園」だった。
売り手はいずれも「イラン人風の男」。これだけ共通していると入手先を誤魔化しているのではないかと、つい疑ってしまう。
しかし、捜査するのは警察と検察の仕事で調書もそのように作られているので、弁護人としては余計な詮索はしてはいけない。
覚せい剤事犯で厄介なのが、彼らが本当に反省していないという点だ。
自分のお金で買った覚せい剤でスカッとした気分になり、他人には一切迷惑をかけていないのだから、当然のことだろう。
警察や検察では「反省しているのか!」と恫喝することがしばしばある。
しかし、考えようによっては
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