日銀は2013年4月4日の金融政策決定会合において「量的・質的金融緩和」の導入を決めた。それから5年が経過した。
量的・質的金融緩和では、消費者物価指数(除く生鮮食料品)、いわゆるコアCPIの2%という物価目標に対しては2年程度の期間を念頭に置いて、早期に実現するため、マネタリーベース(現金通貨と日銀の当座預金残高)および長期国債・ETF(上場投資信託)の保有額を2年間で2倍程度とし、長期国債の平均残存年数を現行の2倍以上にするなど、量・質ともに次元の違う金融緩和を行うとした。その中心となるのが大規模な国債の買入によるマネタリーベースの倍増であり、またイールドカーブ全体にわたって引き下げようというのが中間的な目標(総裁会見より)となっていた。
リフレ的な政策を全面に打ち出した安倍政権によるアベノミクスは、その一本目の矢の仕上げとして日銀に大胆な金融緩和を要求し、それを自ら選んだ黒田日銀総裁が実行に移した(実際には当時の雨宮理事が主導したとみられる)。 いわゆる日銀理論をベースとした政策から金融政策のレジーム・チェンジ(体制転換)が行われ、リフレ政策をベースにした政策に転じることになった。
この背景には安倍首相のブレーンとなった浜田宏一氏や本田悦朗氏らの影響が大きかったとみられる。2013年3月20日にはリフレ派筆頭ともいえる岩田規久男氏が日銀の副総裁に就任した。その後、原田泰氏や櫻
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