もともとは、大阪に拠点をおいていた。そんな企業が本社を東京へうつしはじめたのは、戦後のいわゆる高度成長期からだろう。二十世紀前半までの大阪に、そのようなうごきはなかったと思う。
だが、二十世紀後半の産業は、国の経済運営に左右される傾向を強めていく。輸出のありかたなどは、護送船団方式とよばれる当局の舵取(かじと)りへ、ゆだねられだした。
多くの企業が、意志決定の場を政府の近くへおきたくなったのも
Source: グノシー経済
【井上章一の大阪まみれ】阪神間で関西弁復活?
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