写真ACより:編集部
「ありがとう」が、あることを惜しみ、あるがままを受け入れる心情の表れであるように、「さようなら」もまた、運命を従容として引き受ける覚悟を背負っている。自己の卑小を自覚し、自然の流れに身をゆだねる無常観がある。「そうであるならば・・・」から生まれた「さようなら」は、余韻を引きずっている。向き合う者同士がそこに万感の思いを込める。ちょうど空白を残した絵のように、感情の電流を揺さぶる。
単独で史上初の大西洋無着陸横断飛行を行った米国の飛行家、チャールズ・リンドバーグの妻で、自身も飛行家である作家のアン・モロー・リンドバーグが『翼よ、北に』(中村妙子訳)で書いている。横浜を離れる際、目にした光景を描いたものだ。
「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。Auf Wiedersehen や Au revoir や Till we meet againのように、別れの痛みを再会の希望によって紛らそうという試みを「サヨナラ」はしない。目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる Farewell のように、 別離の苦い味わいを避けてもいない。
けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解
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