友達の誕生日を祝う気持ちを、無意味で味気ない作業へとFacebookが変えてしまったを本当に悲しく思う。これはFacebookが悪いわけではない。制約のないコメントボックスを用意しただけだ。しかしわれわれの怠慢さと社会的義務感は、 “Happy Birthday!” や ひどいときは”HBD!”の山をウォールに書き込ませてしまう。
私は2011年以来この突発的行動を非難してきた。これはFacebookが友情の意味を破壊していると人々が感じる理由の一つでもある。中には誕生日を変更したりウォールを閉じて中身のない通知を避けようとする人までいる。”HBD”などの簡単なひと言でも何も書かないよりいいと言うかもしれないが、もっと心をこめる方法はいくらでもある。
これが、最近出回っているFacebookの近況アップデートに関するミームを、誕生日にも応用すべきだ私が思う理由だ。最近何十人もの友達がこんな書き込みをした、「あなたがこれを読んでいるなら、たとえめったに話したことがなくても、私たちの思い出をコメントしてほしい。その後、もしよかったら、自分の近況アップデートにもこれを書いてみれば、みんなの心にあるあなたの思い出に驚くことでしょう。」
これは気が利いているし、心温まる話や情熱的な物語やばかばかしい写真が続くきっかけに
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