“取るにたりないこと”が原因で…
取るに足りないことがわたしたちを塞ぎ込ませるのと同じ理由で、とるにたりないことがわたしたちの慰めとなる。
パスカルのパンセ断章136に書かれている言葉です(鹿島茂訳)。
私たち人間は、日頃から「取るにたりないこと」でくよくよすることがたくさんあります。
体の何処かに痛みを感じると「もしかしたら癌じゃないか」と心配したり、取引先の担当者が無愛想だと「取引を打ち切られるんじゃないか」と悩んだり、「老後破産」という言葉を聞いただけで将来不安を感じたり…。
法律相談を受けていても、客観的に見れば「取るにたりないこと」で悩み抜いている人たちが、本当にたくさんいます。
客観的に見れば「取るにたりないこと」であっても、その時点の本人にとってはものすごく深刻な悩みなのです。
司法修習生のころ、検察庁で「取り調べ修習」というのがありました。
検察官隣席のもとで、司法修習生が被疑者を取り調べるのです。
私に割り当てられたのが「傷害事件」でした。
ボクシングの経験を持つ被疑者が、被害者を数発殴ったという事件です。
殴ったきっかけは、自動車を運転している時、交差点で別の車を運転していた被害者に「ボケ」だか「バカ」だか言わたのがきっかけとのことでした。
被疑者から話を聴くと、目は合ったけどそんなことは言っていないとのことでした。
双方窓を閉めていたので、被疑者は被害者の口元を見て誤解したのでしょう。
「あ
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