ドラえもん型、東スポ型政治に死を
この違和感、モヤモヤをなんとかしたい。徒然なるままに記しておこう。猖獗した日本社会に、私は満腔の怒りを込めて、この檄を叩きつける。
希望の党の、「12のゼロ」だけは許せない。この12の項目をゼロにしたいという「意志」自体は否定しない。ただ、HOWの部分と、それを実行するだけの知見や実行力を有権者が信じられないとしたならば、絵に描いた餅に過ぎなくなってしまう。いや、この「12のゼロ」は「絵に描いた餅」にすらなっていないのではないか。
いや、これは「絵に描いた餅」にすら失礼だ。「絵に描いた餅」にはまだ意義がある。まだ人々が見て、美味しそうとか、飯テロだとか思うからである。最初から、「どうせ無理だろ」という空気感が漂ってしまうのはいかがなものか。12のゼロどころか、実現ゼロになってしまうのではないか。コカ・コーラゼロ、氷結ゼロの方がまだ存在意義はある。これらの方針は、虚構でしかないことが既に露見しているのだ。ドラえもんのひみつ道具型政治を断じて許してはならない。
市民も馬鹿ではない。このポピュリズム、ジェネリック自民、ウルトラ右翼政党に対する怒りは、燎原の火のごとく燃え広がりつつある。希望ではなく、絶望だ。
この奇襲解散に合わせた希望の党の結成というのは、寝耳に水のウルトラCだったはずだが、ますます与党を強固にしてしまいそうなのが皮肉な話である。二大保守の時代かなどとメディアは煽ったが
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