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小池新党を応仁の乱に例える細川護煕の先祖たち

経済ニュース
細川忠興と細川護煕(公式ツイッターより):編集部
「倒幕が始まるのかと思っていたら、応仁の乱みたいにぐちゃぐちゃになってきた」というのが細川さんだからリアリティあり。「小池氏が衆院選に立候補する可能性は「恐らくないだろう」とも。
小池さんを語るというので、細川元総理が引っ張りだこで、「ギャンブラー」だなどとなかなか鋭い指摘も多い。
1991年の参議院選挙で日本新党がデビューして、比例区で四人が当選したが、このときの名簿1位は細川護煕、2位がおおかたの予想を裏切って大抜擢で小池百合子が名簿に登載されて当選した。
このときに、小池百合子が細川にサインを求めたら、「源朝臣護煕」と書いたとか言うエピソードを披露していたのを見た記憶がある。
もっとも、ある人が細川に先祖としていちばん意識するのは誰かと聞いたら、藤原道長といったそうだ。
ところで、拙著「『系図』を知ると日本史の謎が解ける」(青春新書)では、細川家についても扱っている。
肥後の殿さまであり細川護煕首相を生んだ細川家は、足利一族だが、それほど格が高いわけではなかった。 足利一族では、あとの世代になってから分かれたほど上位に位置づけられる。しかし、細川氏は初代義康の子である義季が初代だから、一族のなかでの地位はひくかった。
細川氏の名前は三河国額田郡の地名だ。現在では岡崎市の一部である。しかし、南北朝時代に一族が活躍し、とくに頼之は

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