「“史上最低最悪の解散”河野外相、野田総務相は賛成するのか」と郷原信郎さんが書かれた投稿がアゴラでも話題になっていた。法律論なら検事さんがプロだが、歴史なら私も負けないと思うから放っておけない。早速読んでみた。
郷原さんは、
「もし、安倍首相が解散を強行すれば、“憲政史上最低・最悪の解散”を行った首相として歴史に名を残すことになるだろう」
と仰っているが、「憲政史上最悪の解散」であるというなら過去の解散をすべてチェックする必要があるだろう。
しかし、内容は、そういう比較はされていないので、いささか拍子抜けした。解散は、内閣不信任案可決に対抗する場合に限られるとか、そうでないとしても、重大な政治的課題が新たに生じた場合や、基本政策を根本的に変更する場合に限られべきと言っても、戦後70年、そういう、運用はされていなかったのだから、今回だけはそうあるべきだといっても無理がある。
それでは、歴史家として「憲政史上最低最悪の解散」は何かを検討してみると、昭和12年(1937年)、林銑十郎内閣による解散だというのが普通の考え方だ。
なにしろ非常時だというので、各政党も協力して予算が成立したのだが、予算が通過するや翌日に口実もなしに解散に打って出て「食い逃げ解散」と批判されたのである。
PHP文庫から出ている「歴代総理の通信簿」という拙著の要旨を本稿の末尾にかかげておくからご覧頂きたい。
政友会
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