Uri Tours / flickr(編集部)
「全会一致」の重要性を最優先した結果、米国が当初意図した全面禁止ではなく、原油が現状維持の400万バレルまで可、一方、実績450万バレルの灯油、軽油、ジェット燃料、重油などの石油製品は200万バレルを上限とすることとなった、と各紙が報じている。合計すると年間600万バレルまでの石油輸入は認められる、ということだ。
日経が、それぞれ400万トン、200万トンと報じていたので「おい、おい」と思ってFTを検索してみたら、FT記者も「トン」で報じていた。さらに、お膝元のWashington Postの記事を読んだら、数量単位は「バレル」となっているが、「Natural gas and condensateは全面禁止」となっており、「liquids」が落ちている。日本語なら「天然ガス液」と書くべきところを「天然ガス」としているのだ。
日本の記者の皆さん、ごめんなさい。あなた方だけではありませんでした。
さて、と。
筆者は昨年1月に上肢した『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』(文春新書)の勉強をしていたとき、山本五十六元帥が開戦前、荻外荘で近衛総理に対米戦争の成否を問われ「1年か1年半なら暴れてみましょう」と答えた、とのエピソードを目にした。技術将校だった高橋少佐の『油断の幻影』(時事通信社、1985年)によれば、開戦時の海軍保有の石
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