枝野幸男氏の取り違えている「日本流保守」
民進党の代表選挙は、争点がよくわからないので盛り上がらない。特に憲法改正については、いずれ国会で党としての見解を出さなければならないのだから、態度を明確に打ち出したほうがいいと思うが、かねてから「第9条2項を見直すべき」と主張していた前原誠司氏はその主張を封印してしまった。
他方、枝野幸男氏は「私は保守だ」と言い始めた。産経新聞の報道によると、彼はトークイベントでこう言ったそうだ。
保守とリベラルって対立概念じゃないですから。リベラルという言葉は多義的だから。新自由主義的な色合いの強い古典的なリベラルから、多様性を認めて社会保障に力を注ぐソーシャルリベラリズムまで、リベラルだっていろいろあるし。
保守といったって、何を保守するんだ、と。僕は「和を以て貴しとなす」からの日本を保守するんだったら分かるけど、安倍晋三首相は明治維新以降の欧米化された日本を保守しようとしてるから、保守する対象が違う。
これだけでは意味不明だが、「安倍首相が明治維新以降の欧米化された日本を保守しようとしている」というのは当たっている。これが日本の保守派を自称する人々に共通の錯覚だ。たとえば靖国神社の起源は明治2年であり、古来の伝統とはいえない。明治憲法や教育勅語に至っては、明らかに近代国家の制度である。
では枝野氏のいう「和を以て貴しとなす」は、日本の伝統だろうか。歴史学では、その逆である。ベストセラーにな
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