北朝鮮の危機をめぐり、2015年安保法制を適用する議論が確認されている。先日は、小野寺防衛相の発言に関連させて、阪田雅弘・元内閣法制局長官についてブログ記事を書いた。
そこでどうしても思い出してしまうのは、長谷部恭男教授の言葉である。
「(集団的自衛権違憲の)歯止めをかけておくことで、日本政府はいろんな場面で、いちいちコミットメントをする必要がなくなってくる・・・。憲法で自分の手を縛られていることで、逆に日本政府としては活動の自由度が広がっている」。(長谷部・杉田敦『これが憲法だ!』85頁)。」
・・・北朝鮮に、「日本は何もしないよ、日本だけは攻撃しないでね」、とアピールしよう。アメリカに、「抑止せよ、反撃せよ」、と依頼しよう。日本は憲法が厳しいから何もできません、と説明しておけば、疑問には思われないだろう。だから、集団的自衛権は違憲にしておいたほうがいい・・・。
長谷部教授が、もし本当にこれを一つの真面目な外交政策として提示し、政策論に加わろうとするつもりなら、まあ、まだいい。政策論としてどれだけ妥当か、検討し、反論もできるからだ。しかし憲法学者の肩書きを利用して、憲法に書かれていないことを書かれているかのように強弁し、それを通じて自分好みの外交政策を実現させようとする邪道なやり方は、困る。いたずらに議論を停滞させ、社会のエネルギーを無駄に摩耗させるからだ。
ただし長谷部教授は、
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