今週のメルマガ前半部の紹介です。
先日、東証一部上場企業の不二越の会長が
「(同社発祥の地である)富山生まれの学生は閉鎖的なので採用しない」
と発言して話題となりました。
確かに「〇〇出身の人はのんびりしてそうだ」とか「〇〇出身は商売上手が多そう」といったなんとなくイメージできる県民性みたいなものはありますが、その手のステレオタイプって本当に意味があるものなんでしょうか。仮に県民性に違いがあったとしても、それでフィルターかけて採用しちゃって大丈夫なんでしょうか。
というわけで、今回は「〇〇県民は採らない!」問題についてまとめてみたいと思います。きっと人材や人事制度とは何かを考えるよい切り口になるはずです。
その人の立ち位置は他者との相対的な関係で決まる
結論から言うと、筆者は(少なくとも日本国内であれば)出身地域によって人間性や能力に差異があると感じたことはないですし、そういう差異があることを前提に人事を回しているという会社も聞いたことがありません。それは当たり前の話で、なぜならその人の人となりを形作るのは、生まれではなく他者との相対的な関係だからです。
たとえば、めちゃくちゃ社交的でコミュニケーション能力の高い人ばかり採用したら、その会社の社風は明るくなるかと言えばそうはなりません。配属先によって明るくなる人もいれば別人のように落ち着いちゃう人もいます。
これは能力面でも同じです
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