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コーランを鵜呑みにするのは危険

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「宗教の聖典に記述されている一句一句をそのまま受け入れていくと、最終的には根本主義となってしまう」
スイスのカトリック教会司教会議のシャルル・モレロ議長(Charles Morerod)はスイス日刊紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥングとのインタビューの中で語った。バチカン放送独語電子版が7日、報じた。
▲トリエント公会議(ウィキぺディアから)
同議長は、今日の聖典コーランに対するイスラム教徒の立場が第2バチカン公会議(1962~65年)前のキリスト者の聖書との関係に類似していると主張している。
「第2公会議前までは多くのキリスト者は聖書を一句一句、逐語的に解釈してきた。例えば、創世記の神の創造だ。それによると、神は7日間で森羅万象を創造したという。しかし、ロゴスの創始者・神は人間がその社会、文化、様式の中で理解できるように語ったのだ。だから、神の言葉を歴史的な枠組みの中で理解していかなければならない」という。
一方、同議長はイスラム教徒が置かれている立場に理解を示し、「彼らにとってコーランは決して単なる伝説や言い伝えを集めたものではなく、神の直接の言葉と受け取っている。多くのイスラム教徒は平和的な記述が多い古いコーランより新訳のコーランの方が価値があると考えている」と指摘する。
ここでコーランの新・古解釈について少し説明する。例えば、エジプト出身のイスラム教専門家、イエズス会所属

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