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私にとっての読売新聞とは④

経済ニュース
衆議院インターネット中継(編集部)
前川文科次官をめぐる読売報道は、過剰な記事審査プロセスからは説明ができない。あれほど組織防衛に長けた新聞社にしては、あまりにもずさんな結果だった。結果的に社会的評価の低下と部数の減少を招き、相当の不利益を受けた。だが処分はされない。なぜなら、そこには読売新聞を貫くもう一つの独裁的な意思決定プロセスが存在しているからだ。記事は、硬直化した上意下達システムによって書かされたのである。
個人を責めてもしょうがない。トカゲのしっぽ切りは、組織延命の手段でしかない。個人が覚醒しない限り、独裁システムという千丈の堤にアリの一穴を開けることはできない。
独裁は独裁者による創造物ではない。独裁を受ける大多数の者が、飼い慣らさせることによって生まれる災難であり、不幸である。事なかれ主義が招く責任の回避は、自由と権利を放棄し、不作為こそが幸福なのだとする自己暗示に結びつく。外へ目が向かずに、井の中の座標軸でしかものを考えられなくなる。相対的な見方を欠けば、懐疑精神は殺され、独立した思考も生まれない。タコツボの中に隠れ、自分の軸はぶれていないと信じてはいても、そのタコツボ自体が浮遊していることに気付くことはない。
集団主義に埋没し、安逸に流れれば、いずれ個人の思考はマヒし、服従と隷属が精神をむしばんでいく。自由と権利を貫くには、大海原に翻弄されながら方向を失わぬよう、

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