父の日、母の日廃止論
週末はバタバタだった。オープンキャンパスだったので、大学に出勤だった。お陰様で、大盛況で、目標値も前年実績も大きく超える動員だった。ひたすら面談をし、講演をした。心地よい充実感に浸りつつ、いつもより早く寝た。
そういえば、父の日だった。この夏、娘(名前は朝日、陽、灯、明、想、潮、創、世界などが候補だが、じっくり考える)が生まれる私。来年からは家内と娘に祝ってもらうと思うと、その瞬間は胸がいっぱいになった。イトーヨーカドーで父の日フェアをやっていたので、思わずカーっとなってステーキを買った。
しかし、今では後悔している。
何かこう怒りのようなものもこみ上げてきた。この、父の日、母の日なるものは、実に昭和的というか、儀礼的というか、家庭というか男女のあり方に対して無頓着なのではないか、と。別にこの日に感謝しなくても、日常的に感謝していればいいではないか。
なんせ、家庭のあり方に対する配慮が不十分である。父や母を亡くした者、生き別れになった者に対して、この日は残酷である。なかなか子供を授からない夫婦にとっても、だ。結婚して、両親がいて、子供がいて当たり前という価値観を押し付けていないか。家族のあり方の多様化について配慮しているのだろうか。マリッジスルー時代、婚活時代、妊活時代、お一人様時代、恋・愛・性の多様化の時代に対する配慮が足りない。このような立場の者の存在など、歯牙にもかけぬ
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